時を知覚する、とは?
私たちは時間を大雑把に3つに区分する。
3つとは現在、過去、未来、である。
時を知覚するということは、この3つを感じることだと思う。
過去は膨大な記録として知覚することができる。
それこそ全てを見切れないほどの記録が、過去として存在する。
未来は過去の膨大な記録を元にして
いろいろと組み合わせて想像して、
楽観的にも悲観的にも知覚することができる。
いわゆる妄想が膨らむ、ということだろう。
過去と未来、どちらも長い長い時間を
膨大な量で感じられるのに比べ
現在という奴は、瞬間の、わずかな量でしか感じ取ることができない。
この殆ど感じ取ることの出来ない現在を
知覚できるようにする道具の一つが「写真」だと思っている。
実際の光景を目で見ているよりも、
写真の方がよく見えてしまうことは
意外なほど良くあることだ。
それは知覚することの出来なかった「現在」を
写真の作り出すイメージを通じて、知覚するからだろう。
写真のほうが、こころのピントは合っているようだ。