愛は与える者に与えられる
振り返るな、前を見ろ!と言いますが、
本当にそれでいいのでしょうか。
余りに忙しすぎて、とっ散らかした過去を整理すること
「棚卸し」することはとても好いことだと思います。
僕はメモ魔で、気になった言葉を手帖に書き込むクセを持っています。
今日は大学の授業日。夕方に少し余裕ができたので、手帖の言葉を見返しました。
「愛は与える者に与えられる。」
いろんなことを考えました。
見返りを求めず、与える人になりたい。
そんなことを思いながら、何度もその言葉を見ていました。
記録によると、どうやら2年前のこと。
ミュージカル「モンテクリスト伯」の劇中に出て来たセリフらしい。
アラフォーの心意気とは?
一体なんでしょうね。アラフォーの心意気。
「四十にして惑わず」といいますように、
アラフォーの心意気とは、
惑わず、迷わず、今を楽しむ、精一杯生きる
という気持ちじゃないでしょうか。
人というのは褒められたい、という気持ちや
愛されたい、という気持ちの呪縛にとらわれてしまいがちですが、
見返りを求めることが目的で行動することは
もはや楽しめていないことになるでしょう。
特に若い頃は、成功したい、評価されたい、実績を得たい
と躍起になりがちですので、迷い道クネクネになるでしょう。
だからアラフォーは、迷い道の先にある世界だと思うし
散々迷った訳ですから、すっきり、まっすぐ、素直に生きる。
アラフォーの心意気とはそういうことかな、と思います。
2015年4月4日(土)伊豆・下田にて
「決して褒められようとしない気持ち」とは?
誰でも貶されるよりは褒められることの方が、
嫌われるよりも好かれる方が嬉しい。
だからと言って、褒められようとする気持ちが募るほど、
好かれたいと思うほど態度に表れてしまい、
それを見た相手は思わず引いてしまうでしょう。
また、ある時はとても褒めてくれた人が貶してきたり、
味方だと思っていた人に突然敵視されたりもあるでしょう。
好かれること嫌われること、褒められること貶されること。
それはコインのような表裏一体の関係なのかもしれない。
この場合、「コイン」とは何か?というと
「関心」という言葉に置き換えられる。
関心があるから、好いことも悪いこともいわれる。
一番難しいのは、無関心の人を振り向かせること。
写真をみせることにも、それは当てはまる。
興味を持ってくれない人。そもそも絵や写真を見ることに関心が無い人に
観てもらうことは難しい。だからそこには手を出さない。
関心がある人に観てもらえるなら、たとえ貶されても
それは好いじゃないですか。本当に嫌なら観ないでしょうから。
好かれようとしない。褒められようとしない。
それは関心を持ってくれる人に対して、
それ以上を期待してはいけない、ということ。
ある意味では「平常心」かもしれない。
そして、褒められようとするエネルギーのやりどころを
自分自身が好きだと思えるもの、素晴らしいと思えるものを
作り上げるパワーに注いだほうが好いな、と最近になって気づいた。